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「盛田昭夫」を語る

キミもがんばれ

10

青年盛田昭夫の死

盛田さんが亡くなった翌日、米国の友人から電子メールで便りがあった。ご逝去を知って大変残念に思う。ニューヨークタイムズは一ページ半の追悼記事を掲げた。外国人の死にこれだけのページが割かれたのは、国家元首以外前例がない。それだけの賞賛に値する人だった。そう記されていた。この人は生前の盛田さんと直接面識がなかった。ただ私がかつて盛田さんに仕えたことを知っていて、感想を書いてくれたのだ。盛田さんが亡くなって悲しんだのは、友人や知り合いばかりではない。会ったことも言葉を交わしたこともない無数の人が、日本で米国でしばし手を休め、故人のことを想った。ソニーという大きな夢を実現した一人の魅力ある人間として、盛田さんは人々の記憶に永く残るだろう。

盛田さんは並外れて活動的な人だった。国内でも海外でも休むことがない。休日には必ずゴルフやテニスをして楽しみ、雨が降って運動ができないと何本も映画をはしごする。ごくまれに予定の入らない時間があると、「何もすることがない、早く仕事をつくれ」とせがむのだと秘書の一人から聞いた。

ニューヨークへの出張に同行したある日、盛田さんは知り合いの某財界人を乗せて自社のヘリコプターでワシントンへ飛ぶことになった。ついてはおまえ、ホテルでお迎えしてヘリポートまでお連れしろ。ヘリコプターで待ってる。こう命じられ朝早くホテルでその方をお迎えして、マンハッタン島の西側にあるヘリポートへ到着すると、ソニーのヘリコプターがローターを回転させながら待機している。機内から姿を現した盛田さんは、私の顔を見るなり、「遅いじゃないか、二分も待った」とどなる。そして客を乗せたドアを閉めるとすぐに離陸して、あっという間に視界から消えた。別に二分遅れたからどうということはないと思うのだが、こんな風に慌ただしくドラマチックに動くのが、この人は好きだった。

当然ながら、多忙をきわめる盛田さんをサポートする周りの人たちは大変だ。彼らはつねにボスの行動に振り回され、走り回っていた。70年代のおわりに、携帯電話のはしりである車載電話が出現すると、盛田さんはこれを早速手に入れ、車で移動中、片っ端から電話をかけはじめた。いつ誰にかかるかわからない。そして、あのせわしない話し方で指示を与える。「あっ、今トンネルに入る、出たらすぐかける」といっていったん切るが、またすぐにかかってくる。車載電話がついて外出中も息を抜けなくなったと、みんなぼやいた。

どうして盛田さんはあんな風にせわしないのか。もう少しゆっくりしてもいいのに。何度か一緒に働いて、私はいつもそう思っていた。そもそもエネルギーのレベルが高いのである。若いときは自然に体が動いたのだろう。歳を取っても活動のペースは衰えなかった。しかし盛田さんも人間である。体力が無限にあるわけではない。あるときワシントン郊外で人と会った帰りの車中、私の隣で盛田さんは居眠りをはじめた。先刻までアメリカ人相手に活発な応対をしていた人が、口を大きくあけて眠っている。そこにいるのは一人の老人であった。ああ盛田さんは疲れている、無理をしているのだなあと、私は感慨を覚えた。

盛田さんは、歳を取って体が衰えるのをおそれていたと思う。もちろん老いるのは誰でもいやだ。ただこの人は持ち前の闘志で老化を拒絶しようとした。常に前へ前へと進む盛田さんにとって、自分の生き方を振り返り、やがて訪れる死について考える暇などなかった。いやむしろ、そうした暇をつくろうとはしなかった。戦後復興期に活躍した日本人は、みな時代を駆けぬけて、休む間がなかった。盛田さんは、いつもそうした人々の先頭を切って走っていた。自分の最終目標を必ずしもはっきりと定めぬまま、そして周囲の目を多分に意識しながら、疲れを見せず快活に走った。

その活動的な盛田さんが病に倒れて体が不自由になった。無念であったと思う。しかし静かに流れる時間の中、夫人に守られハワイの海を見ながら暮らした晩年、わが人生を振り返って悔いるべきことはなにもなかっただろう。死によって盛田さんの魂は肉体から解放された。再びせわしなく天国を駆けまわっているに違いないと、元気だった頃の姿を思い浮かべる。どんなに忙しくても微笑みをたやさず、好奇心に満ちた目を活発に動かしていた人。私にとって盛田昭夫の死は、生涯走りつづけた一人の青年の死であった。

阿川 尚之(2001年 記)

(慶応義塾大学教授)

※『キミもがんばれ』は、2001年2月、ソニー北米関係有志によって、盛田氏の思い出をまとめた文集(非売品)です。

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