Akio Morita Library

HOME

    盛田昭夫について
    • 年 譜
    • 叙 勲
    • 「盛田昭夫」のコレクション
    • 「盛田昭夫」フォトギャラリー
  • 盛田家について
    • 歴 史
    • 鈴渓資料館
  • 「盛田昭夫」語録 こころの教科書
    • 「盛田昭夫」語録
    • フィロソフィー
  • 「盛田昭夫」を語る
    • エピソード
    • 想い出
    • ゲストブック
    • キミもがんばれ
  • 記念館
  • 関連資料
    • 著 書
    • 関連書籍
    • 鈴渓義塾
    • 音 楽 ~カンタータ「天涯」~
    • その他の情報
  • イベント
    • 人間「盛田昭夫」展
    • 関連イベント
  • 写真レンタル
    • レンタルサービスについて
    • レンタル写真サンプル
    • お問い合わせ
  • ライブラリーについて

「盛田昭夫」を語る

エピソード

1

昭夫とヘルベルト・フォン・カラヤン

01_img01.gif

20世紀最も有名な指揮者の1人、クラシックファンなら誰でも知っているカラヤンさんとの出会いは何時からか正確な記憶が無いが1950年から60年、そう今からもう50年、半世紀前にさかのぼる。そして彼が亡くなったその日まで、そしてその後も私達の友情は続いている。

現在、毎年、年が明けると新聞の経済面を飾る話題にダボス会議がある。ダボス会議はスイス人実業家クラウス・シュワブの提唱の下、1971年に創設された。シュワブは、ハーバード大学時代ヘンリー・キッシンジャーに影響を受け、ビルダーバーグ・グループの秘密会議をモデルにダボス会議を発足させたという。

昭夫は、1980年前後には、ミスター・シュワブの依頼によってこの会議のゲスト・スピーカーとして参加、其の翌年からはコオ・チェアマンとして毎年この会議に加わっていた。此処での世界各国の要人との出会いが、後の昭夫の人生に大きな影響を与えたのだがこの事は何れお話しすることにして、今回はこのスナップの説明に話を戻す事に致しましょう。

このダボス会議でスイスに来ている事を知ったカラヤンさんから自分が「ヘリコプターで迎えに行くからサンモリッツの家に遊びに来ないか」とお誘いの電話が入った。彼の操縦するヘリコプターが待ち合わせ場所に時間通りに着いていたのだが、道からはなれた1メートルもの雪の積もった広場の真ん中に止まっている。ヘリコプターの所まで行くには、いくら雪靴をはいている私達でも腰までの雪を掻き分けてたどり着くのが大変、何はともあれやっとの事でヘリコプターに乗り込んでサンモリッツへ。

ヘリコプターから今度はヘリポートに止めてあった日本車の四輪駆動に乗り換え猛スピードで彼の別荘へ、運転手席そこには指揮台の上では見られない得意げなお茶目なカラヤンさんの素顔が笑っていた。家に着くと「さあ先ず泳ごう」、昭夫とヘルベルト、2人は直ぐにイン・ドアのプールへ、素ポンポンで泳ぎを楽しんだ。

さてランチを、そこには何時も彼の家でご馳走になるいろいろなお肉と野菜一杯のスープ煮、ポトフが用意されていた。食後一休み「さあ散歩に行こう」、彼はソニー製の今は貴重品の当時一番進んだ大きなFMトランジスタラジオを抱えてあらわれた。「外で一緒に聴こう」。

01_img02.gif

「写真、写真」私がシャッターを切る。丁度通りかかった馬車を入れてカラヤンさんとのツー・ショットを昭夫が撮ってくれた。この2枚。今は懐かしいスナップ写真となってしまった。

今はもう、昭夫もカラヤンさんも亡くなってこの世には居無い。2人は天国で何を話しているのだろう。ジェット飛行機、新しい録音、録画技術、差し詰めハイビジョン、そしてデジタル、話は尽きる事が無いのだろう。

2007年 5月6日 盛田良子 記

エピソード 一覧

盛田昭夫に関するエピソードやメッセージがあればお知らせください
(匿名・ペンネームご希望の方はその旨も明記してください)
投稿する

ページのトップへ