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「盛田昭夫」を語る

想い出

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盛田昭夫氏と「青春の詩」 (追悼文No.3)
粟倉健二氏より

11月5日の某新聞ウェブサイトに、「海外で働いたらソン!?」という特集記事が出ていました。最近この種の報道記事が増えていて気になっています。これは20年以上前に産業人の間で話題だったテーマなのです。当時はまだ企業の海外活動は現在に比べて格段に少なく、海外畑の人は、どの企業でも「極めて」付きの少数派でした。

「なにを馬鹿な!日本は鎖国には戻れない。世界ボーダーレスの潮流中にあって、好もうが好むまいがあらゆる人々が、今後は『国際化』の中で生きて行くのだ。産業界の為にも、我々自身の為にも、早い者勝ちの意気込みで海外勤務に挑戦すべきだ」。当時、私も周りの人たちと口角泡を飛ばしたものでした。それが今、このような形で蒸し返されるとは信じがたい気持です。日本産業界の時計は20年間も止まっていたというのでしょうか?

それでまた思い出すのは、盛田昭夫氏が1992年2月19日に米国アラバマ州日米協会総会で講演された時のことです。当時「日米経済戦争」と呼ばれるほどに日本と対立し、またリーマンショックのような事を起こしかねない方向に走っていた米国を、氏は厳しく叱責され「日米が共に手を携えて国際社会を支えていかねばならない」と説かれた。氏はその場で「サミュエル・ウルマン賞」(国際親善貢献者を称える賞)を米国側から手渡されたのでした。

「粟倉さん、紹介しましょう。」その講演終了後のパーティー会場で、川島アラバマ・ソニー株式会社社長による紹介を受け、盛田氏と私はカリフォルニアワインをかたむけながら歓談しました。

「これからの日本企業では、本社の人材中に海外経験者がどれだけ多くいるかが、その企業の総合力なのですよ。」氏はおだやかな微笑を浮かべた顔でそう言われた。世界中どこへ行っても、直ちに善意と信頼とを築ける国際経験豊かな人材が、これからのボーダーレス時代に大切なのだと。

当時日本企業では、経営幹部に「国内育ち」が圧倒的に多かったこともあり、そういう話を表立って口にする経営者は見たことがなかった。新鮮な響きがあり、盛田氏は初対面の競合メーカーの人間、私に向かって、まるで身内に対する調子で話しかけておられるような印象を受けたものです。

今、上記のような若い日本産業人の意識を聞かれたら、盛田氏は何と言われるのでしょうか?我々は、世界全体が「戻り道なきボーダーレス時代」に移行して行くのを見ていながら、いかにドメスティック指向にしがみついたままで、先人たち亡き後を生きてきたことか・・・。若者達のこのような傾向は、すなわち彼らの後ろに居る指導者、年配者達の意識の現われとも言えるのではないでしょうか。

ところで一方では、国内政治の混迷があまりに永く続く中、従来以上のスピードで、多くの企業が海外へ拠点を移す動きが出てきて「日本産業の空洞化」が心配されています。この「国難」とも言うべき『通貨戦争』の故に、海外に出て行かざるを得ないという企業の動きは、実は、盛田氏の指摘に沿って考えれば、日本産業の将来にとって「総合力の向上」につながり、良いことかもしれません。(これまで多分に他者依存であり、変化にも逆らってきた企業が、どこまで世界のスピードについて行けるかについては、ちょっとわきに置いたとして)

しかし、このような従業員意識から見て、これも昨今の報道に見る「海外要員人材不足」で、企業が立ち往生しつつあるとしたら、現下の実態は深刻ではないでしょうか。言うまでも無く、国際社会での産業競争は激しく、戦いは熾烈です。日本の停滞を見て喜びこそすれ、同情したり、待ってくれたりする相手はあり得ない。日本という「人材しか頼れるものが無い小型島国」にあって、ことは一刻の猶予も無い問題でしょう。

ところで、現在インターネットで「サミュエル・ウルマン」を検索すると、125,000件ものリストとなって、いろいろな人々のサイトが浮かび上がります。サミュエル・ウルマンの「青春」の詩とのかかわりで、それぞれの方々が、それぞれの思いを持って文章、絵、写真、音楽など等を上梓されています。

1945年以来、ずっと日本人の心に大きなインパクトを与え続け、さらにネット社会だけ見ても、上梓やヒット数が増え続ける。「青春」の詩が我々に教えるものは、「ただ理想の実現あるのみ」と世界相手に挑戦し続けた盛田氏の志向と、方向を同じくするものだと考えています。

盛田氏が座右の銘とされ、周りの人々に熱意を込めて推奨されたこの詩は、「楽をしたい気持ちを切り捨てる勇気を持て」と詠います。「世界の変化に対してはその真中に飛び込んで行って、その先にあるものを自分の手で掴み取って来るような、イン・ディペンデント(自立的)な心意気が今また必要なのだ」と、そう詠っているように思えるのです。 今日も会う人ごとに「青春」をお勧めして過ごしています。

2010年12月25日 粟倉健二

1993年米国アラバマ日米協会副会長
元JVC America Inc. 代表取締役副社長・社長代行

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